2009.04.18UP
キラン・デサイの『グアヴァ園は大騒ぎ』(村松潔訳/新潮社/1999年)を読了。以前、このブログで彼女の第二長編『喪失の響き』を取り上げたが、こちらは長編デビュー作だ。
舞台はインドのなかで、国内最高気温を何度も更新した前歴があるという田舎町シャーコート。ひどい旱魃が続いた後のモンスーンとともに生まれた赤ん坊が、「幸運」を意味するサンパトと名付けられる。だがそれから20年後、サンパトは、無気力な人間になっていた。父親が見つけてくれた郵便局の仕事もまったくやる気がなく、局長の娘の結婚式で女装して尻を出して、クビになってしまう。彼にとって毎日の生活は牢獄だった。

そんなある日、サンパトは家を抜け出し、国有林のなかにある一本の古いグアヴァの木に登り、初めて安らかで満ち足りた気持ちになる。ところが、家族や町の連中が木の下に押し寄せ、彼はいつしか聖人に祭り上げられていく。サンパトの父親は一儲けを企み、信者のなかには贋聖人暴露局のスパイが紛れ込み、木に居ついた猿たちは酒の味を覚え、軍隊まで出動する騒ぎに発展していく。
これは、インド生まれのデサイが、田舎町の日常を、ユニークなキャラクターと自由奔放なイマジネーション、饒舌な文体で描き出した小説といえるが、インドに対する独自の視点も見逃せない。デサイは14歳までインドで暮らしたあと、イギリスとアメリカで教育を受け、コロンビア大学在学中に二年間休学して本書を書き上げた。そんな彼女は、東洋と西洋の視点を持ち合わせている。『喪失の響き』には、植民地と植民地以後に対する明確な視点が打ち出されていた。
筆者はこの小説を読みながら、その前に読んだエドワード・ルースの『インド 厄介な経済大国』のことを思い出していた。そこには以下のような記述がある。
「インドは何世紀にもわたって西洋人から偉大なる精神性をもつ国というイメージを押しつけられてきたため、いつの間にかインド人自身がそれを受け入れ、そのイメージをさらに飾り立てる習慣が身についてしまったのではないだろうか。この数百年の間に、とくに一八世紀以降のイギリス植民地時代とその影響がまだ残っていた時代に、多くの国民がインドには深い哲学に支えられた特別な文明があるという考えを、何らかの形で受け入れた。ほとんどのインド人にとって、そうした自己のイメージのほうが、植民地支配者たちから与えられる、見下ろされたイメージより好ましかったことは間違いない」
この小説は一見シンプルな物語に見えるが、デサイはそうした西洋や植民地時代の影響を意識し、かなり皮肉なユーモアを生み出している。
